原状回復の工事が遅れると連絡が来たら|築古アパートのオーナーが急かす前に開く契約書の4行
結論からお伝えすると、原状回復の工事が遅れているという連絡が入ったとき、最初にやることは業者を急かすことではありません。契約書の「工事着手の時期及び工事完成の時期」の行と、「工期の変更」について定めた行を開くことです。この2か所に日付と算定方法が書かれていれば、遅れは交渉ではなく手続きの話になります。書かれていなければ、次の工事までにそこを埋めるのが本題になります。
「クロス屋が入れないので、募集開始を4日ずらしてほしい」という電話は、退去が重なる時期にどうしても起こります。埼玉・千葉県西部・栃木県南部の築古アパートでも、8月と3月は職人の手が塞がりやすい時期です。焦って「明日から入れてくれ」と押し返す前に、確かめる順番があります。

国が「短い工期の設定」を課題として名指ししている(2026年8月17日)
厚生労働省は2026年8月17日、建設業・運輸業の働き方改革に向けた新しいPR動画「その手で広げる はたらきかたススメ!」を公開したと発表しました。その発表文にこう書かれています。建設業・運輸業ではほかの産業よりも労働時間が長い実態があり、その背景には「短い工期の設定」や長時間の荷待ち時間といった取引慣行上の課題があると指摘されている。そして、これを解決するには取引関係者をはじめとした一人一人の理解と協力が不可欠である——という趣旨です(出典:厚生労働省 報道発表資料「建設業・運輸業の働き方改革に向けた新PR動画を公開」令和8年8月17日、労働基準局労働条件政策課労働時間特別対策室)。
ここで言う「取引関係者」には、工事を発注する側が含まれます。空室の原状回復を頼むオーナーも、その一人です。工期の話は、業者の内部事情ではなく、発注する側と受ける側の取引の話として整理されている——これが2026年8月時点の国の立て方です。
契約書に入っていなければならない4つの行
建設業法19条1項は、請負契約を結ぶときに書面に記載して相互に交付しなければならない事項を16号まで並べています。工期の遅れに直接効くのは、このうち4つです。
- 3号:工事着手の時期及び工事完成の時期——「〇月〇日から〇月〇日まで」と日付で入っているか。「随時」「調整のうえ」では、遅れたかどうかを判定できません
- 6号:当事者の一方から設計変更又は工事着手の延期若しくは工事の全部若しくは一部の中止の申出があった場合における工期の変更、請負代金の額の変更又は損害の負担及びそれらの額の算定方法に関する定め——延期を言い出したときにどうなるかを、あらかじめ決めておく行です
- 7号:天災その他不可抗力による工期の変更又は損害の負担及びその額の算定方法に関する定め——台風や大雪で入れなかった日の扱い
- 14号:各当事者の履行の遅滞その他債務の不履行の場合における遅延利息、違約金その他の損害金——遅れたときにいくら、という取り決め
この4行がある契約書なら、遅れの連絡が来た時点で「6号の申出ですか、7号の不可抗力ですか」と聞くだけで話が進みます。逆に、日付が空欄のまま工事が始まっている場合、遅れているかどうかを判定する物差しがそもそもありません。
「もっと早くしてくれ」は、法律で縛られている側の言葉
ここが取り違えられやすいところです。建設業法19条の5第1項は、こう書いています。
「注文者は、その注文した建設工事を施工するために通常必要と認められる期間に比して著しく短い期間を工期とする請負契約を締結してはならない。」
主語は注文者です。同条2項で建設業者の側も同じく禁じられていますが、1項は発注する側を縛っています。つまり「急いでやってもらう」は、オーナーの権利として無制限に置かれているものではありません。
ただし、行政の手が届く範囲は別に決められています。19条の6第2項は、注文者が19条の5第1項に違反した場合に国土交通大臣または都道府県知事が勧告できるとしていますが、対象は「請負代金の額が政令で定める金額以上であるもの」に限られます。その金額は建設業法施行令5条の8で500万円(建築一式工事は1,500万円)。原状回復工事はほぼ全部この下に入るので、勧告や公表(同条3項)が飛んでくる場面ではありません。行政の手が届かないだけで、禁止であること自体は変わらないという読み方になります。
その工期は、そもそも詰まりすぎていないか
妥当な工期かどうかは、金額よりも歩掛(1日にどれだけ進むか)で見たほうが自分で判断できます。賃貸の原状回復を専門にしている大家さんの内装屋は、クロスの張り替えについて「既存のクロスの剥がし易さ、下地処理にかかる時間、壁面の形等にもよるが、おおよそ50㎡/日程度の作業」とし、6帖洋室の天井・壁の全面で30〜40㎡程度になるので通常1日で仕上がると公開しています(出典:大家さんの内装屋「クロス・CFの単位換算と工期|帖→㎡→mの計算表」)。換算は1帖=1.65㎡、㎡数を0.9で割るとm数(クロスの幅が90cmのため)です。
この数字を持っていれば、「2部屋で3日」が詰まっているのかゆとりがあるのかを、自分の物件の帖数から検算できます。ここが合っていない工程は、着手前に直しておくほうが早いです。
資材が入らない、値上がりしたと言われたとき
建設業法20条の2は、工期と請負代金に影響する事象について、双方に通知の義務を置いています。2項は建設業者の側の義務で、主要な資材の供給の著しい減少、資材の価格の高騰などの事象が起こるおそれがあると認めるときは、契約を締結するまでに注文者へ通知しなければならないとしています。1項は逆に注文者の義務で、地盤の沈下その他の事象について同じことを求めています。
そして3項・4項が実務に効きます。2項の通知をした建設業者は、契約後にその事象が実際に起きたら、19条1項7号・8号の定めに従った工期・工事内容・請負代金の変更について協議を申し出ることができる。申出を受けた注文者は、根拠を欠く場合その他正当な理由がある場合を除き、誠実に当該協議に応ずるよう努めなければならない——こう書かれています。
「値上がりしたから増やしてほしい」は、業者の言い分ではなく法律に道筋のある申出です。ただしその前提は、契約前に通知があったかどうかと、19条1項8号の定め(価格等の変動に基づく請負代金の変更とその算定方法)が契約書にあるかどうか。ここが空欄だと、協議のよりどころがなくなります。

それでも動かないときの順番
ここは一般論にとどめます。民法541条は、相手が債務を履行しない場合に相当の期間を定めて催告し、その期間内に履行がないときは契約を解除できるとしています(ただし不履行が軽微なときを除く)。415条1項は、債務の本旨に従った履行がないときの損害賠償を定めています。また641条は、請負人が仕事を完成しない間は、注文者はいつでも損害を賠償して契約を解除できるとしています。
ただし、途中で解除すると出来形部分の精算、鍵の返却、次の業者の手配がすべて同時に発生します。募集開始が4日遅れるより、解除して入れ替えるほうが遅くなることが普通です。解除の判断に入る前に弁護士へ相談することをおすすめします。契約の効力や損害の範囲は、契約書の書きぶりと経過の記録で結論が変わります。
記録は、遅れの連絡が来た日から取り始める
遅れの話が揉めるのは、あとから「いつ言った・言っていない」になるからです。連絡が入った日付と内容、こちらが出した返事、次の期日——この3点をメールかメッセージで残しておくだけで、6号の申出だったのか7号の不可抗力だったのかが後から辿れます。写真と日付を残す考え方は、退去の立会いで写真を撮る場所と同じです。
また、工期の遅れは見積の書きぶりから始まっていることがあります。工程の日数が書かれていない「一式」の見積書は、遅れの判定材料も一緒に落としています。原状回復の見積書は「一式」の行から見ると、相見積もりは金額より先に条件を渡すをあわせて読んでいただくと、着手前に埋めておく欄がはっきりします。設備が壊れたときの急ぎ方の線引きは設備が壊れた連絡が入ったらにまとめています。
今日やることを1つだけ選ぶなら
手元にある直近の工事の契約書(または注文書・請書)を1枚出して、「工事完成の時期」の欄に日付が入っているかだけを見てください。入っていれば、遅れの話はその日付を起点に組み立てられます。入っていなければ、次の1件からその欄を埋める。それだけで、来年の8月と3月の電話の受け取り方が変わります。


