相続放棄を考えているなら、家賃を使う前に止まってください|築古アパートのオーナーが読む民法921条と940条

結論からお伝えすると、親のアパートを相続放棄するか迷っているあいだは、家賃を自分のために使わないでください。民法921条1号は、相続財産を「処分」した相続人を、単純承認をしたものとみなします。放棄の申述をする前に承認したことになれば、あとから放棄はできません。一方で、壊れた設備を直すことや、3年以内の賃貸借を結ぶことは、同じ条文のただし書で処分から外されています。やってよいことと、やってはいけないことは、条文の上で分かれています。

親が亡くなって2週間。通帳を記帳すると、アパートの家賃が今月も振り込まれている。同じ週に、2階の入居者から「給湯器からお湯が出ない」と電話が入る。借入の残りと建物の古さを考えると、相続するかどうか決めきれない。この3つが同時に来る時期が、いちばん判断を間違えやすい時期です。

放棄できる期間は「知った時から3か月」です

民法915条1項は、相続人は自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に、単純承認・限定承認・放棄のいずれかをしなければならないと定めています。同じ項のただし書で、この期間は利害関係人または検察官の請求によって、家庭裁判所が伸ばすことができます。2項では、承認や放棄の前に相続財産を調査できることも書かれています。

  • 放棄のしかた…家庭裁判所への申述です(民法938条)。親族に伝えるだけでは放棄になりません
  • 放棄の効果…その相続について、初めから相続人とならなかったものとみなされます(民法939条)
  • 3か月を過ぎたら…放棄も限定承認もしなければ、単純承認したものとみなされます(民法921条2号)

アパートは、借入の残高・修繕の必要・入居者との契約がからむので、3か月で調べきれないことがあります。足りなければ、期間の伸長を家庭裁判所に申し立てる道があります。黙って過ぎるのがいちばん危ない形です。

相続放棄の前の線引きを示した図。家賃を生活費に使う・建物を売る壊すは処分に当たるおそれ、給湯器を直すことと3年以内の賃貸は民法921条1号ただし書で外れる。

放棄の前に「やってはいけないこと」と「やってよいこと」

921条1号の本文は「相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき」。そのすぐ後に、ただし書で「保存行為及び第602条に定める期間を超えない賃貸をすることは、この限りでない」と書かれています。アパートに当てはめると、次のように分かれます。

  • 処分に当たるおそれがあるもの…建物や土地を売る・解体する/振り込まれた家賃を自分の生活費や借金の返済に使う/家財を持ち出して売る
  • 保存行為として外れる余地があるもの…壊れた給湯器を直す/雨漏りを応急で止める/建物が傷まないための最小限の手当て
  • 602条の期間内の賃貸として外れるもの…民法602条3号で建物の賃貸借は3年。空いた部屋に新しい入居者を入れる2年契約は、この線の内側です

「放棄を考えているなら、何も触ってはいけない」は条文と違います。建物を守る手当てと、3年以内の賃貸は、条文が最初から処分の外に置いています。止めるべきなのは、財産の中身を減らす・形を変える動きです。

入居者から家賃が振り込まれてきたら、受け取ってよいのですか?

ここは条文だけでは線が引き切れないところです。家賃を回収することが「処分」に当たるかどうかは、事情によって評価が分かれうるとされています。確実に言えるのは、受け取ったお金を自分のお金と混ぜて使えば、処分と見られる方向に寄るということです。

判断がつくまでは、家賃が入る口座から1円も動かさず、入金の記録だけを残しておくのが安全です。放棄をしたあとで相続財産を「私にこれを消費し」た場合も、921条3号で単純承認とみなされます。放棄の前後を問わず、使い込みは同じ結論に向かいます。

民法940条の改正前後を比べた図。2023年3月31日までは放棄した者全員が管理を継続、2023年4月1日からは現に占有している者だけが清算人などに引き渡すまで保存する。

放棄したあとに残る義務は、2023年4月1日から狭くなりました

民法940条は、令和3年の民法改正で書き換わっています。法令APIで2023年3月31日時点と4月1日時点の条文を並べると、違いがはっきり出ます。

  • 2023年3月31日まで…放棄した者は、「その放棄によって相続人となった者が相続財産の管理を始めることができるまで」、財産の管理を継続しなければならない
  • 2023年4月1日から…放棄の時に相続財産に属する財産を現に占有しているときは、相続人または相続財産の清算人に引き渡すまでの間、自己の財産におけるのと同一の注意をもって、その財産を保存しなければならない

いまの940条は「占有していない人」には義務を課していません。遠方に住んでいて一度も建物に関わっていない相続人と、鍵を持って入居者の対応をしてきた相続人とでは、放棄したあとの立場が違います。義務の中身も「管理の継続」から「保存」に変わりました。どこまでが「現に占有」に当たるかは個別の判断になるので、鍵を預かっている・管理会社とやりとりしてきた方は、放棄の前に専門家へ確かめてください。

940条2項は、委任の規定の一部(645条の報告、646条の受け取った物の引渡し、650条1項・2項の費用の償還)を準用しています。保存のために立て替えた修理代は、引き渡す相手に請求できる形になっています。領収書は必ず残してください。

相続人が全員放棄したら、建物と入居者はどうなりますか?

相続人のあることが明らかでないときは、相続財産は法人になります(民法951条)。そのうえで家庭裁判所は、利害関係人または検察官の請求によって、相続財産の清算人を選任します(民法952条1項)。選任されると、相続人がいるなら一定の期間内に権利を主張するよう公告され、その期間は6か月を下ることができません(同条2項)。

入居者との賃貸借契約は、相続財産の中に残ります。誰が貸主なのか分からない期間の家賃について、民法494条2項は、弁済者が債権者を確知することができないときは供託できると定めています。入居者から「誰に払えばいいのか」と聞かれたら、この道があることを伝えられます。

入居者の側が亡くなった場合の契約の扱いは、入居者が亡くなっても賃貸借契約は終わりませんで分けています。向きが逆の話なので、混ぜないようにしてください。

都合の悪いことも書いておきます

放棄すれば建物と縁が切れる、とは限りません。現に占有していれば保存の義務が残り、清算人に引き渡すまで続きます。清算人の選任を申し立てるには、家庭裁判所に費用を納める必要が出ることがあり、その額は事案によって変わります。「放棄したのに、しばらく建物から手が離れない」という期間は起こりえます。

また、放棄は相続財産全体についての判断です。アパートだけ放棄して、預金だけ受け取ることはできません。建物の状態だけで決めずに、借入・預金・ほかの不動産を一覧にしてから決めてください。遺産分割がまとまらないまま管理を続ける形については、遺産分割が終わる前にしか使えない条文がありますもあわせてどうぞ。

今日やることを1つだけ選ぶなら

家賃が振り込まれている口座の入出金を、亡くなった日から今日まで書き出してください。そのうえで、その口座から1円も動かさないと決める。これで921条1号の「処分」に近づく動きを止められます。

次に、亡くなったことと、自分が相続人になったことを知った日をメモしておく。3か月はそこから数えます。給湯器の修理のように急ぐものは、保存行為と見られる範囲で手当てをして領収書を残す。放棄するか・伸長を申し立てるかの判断は、家庭裁判所の手続きに詳しい弁護士や司法書士へご相談ください。親が元気なうちに確かめておける項目は親の築古アパートを元気なうちに確認する5つのことにまとめています。

出典

  • 民法915条・921条・938条・939条・940条・951条・952条・494条・602条(e-Gov 法令検索・2026年9月24日時点)
  • 民法940条の改正前後の条文(e-Gov 法令API・時点指定 2023年3月31日/2023年4月1日)

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