タバコのヤニは誰が払うのか|築古アパートのオーナーが居室全体を請求する前に引く2本の線

結論からお伝えすると、タバコのヤニは、国のガイドラインで「居室全体」を借主負担にしてよいと書かれた唯一の例外です。クロスは本来「一面分まで」なので、これはかなり強い扱いです。ただし全額は取れません。経過年数を引いた残りだけになります。そして先に確かめることがもう1つ。契約で喫煙を禁じていない部屋では、喫煙したこと自体は善管注意義務違反になりません。

退去した部屋に入ると、玄関を開けた瞬間に分かる。天井のクロスが茶色く、照明の周りだけ丸く濃い。窓を全部開けても、30分では抜けない。業者からの見積は「クロス全面張替え」と「特殊清掃」。金額を敷金から引いて精算書を送ったら、2週間後に「全額は納得できない」と返事が来る——ここから先の話です。

タバコのヤニで確かめる3点を示した図。請求できる範囲は居室全体、金額は経過年数を引いた残り、契約で喫煙を禁じているかを先に見る。

クロスは「一面分まで」。その例外がヤニだけ

国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」は、壁(クロス)の借主負担の単位をこう定めています。㎡単位が望ましいが、賃借人が毀損させた箇所を含む一面分までは張替え費用を賃借人負担としてもやむを得ない。壁1面が上限、というのが原則です。

その原則のすぐ横に、注記が付いています。

タバコ等のヤニや臭い……喫煙等により当該居室全体においてクロス等がヤニで変色したり臭いが付着した場合のみ、当該居室全体のクリーニングまたは張替費用を賃借人負担とすることが妥当と考えられる。

「のみ」という語が入っているのが要点です。部屋全体を請求してよい理由として国が挙げているのは、ヤニと臭いだけ。別表でも、タバコ等のヤニ・臭いは区分Bに置かれ、「喫煙等によりクロス等がヤニで変色したり臭いが付着している場合は、通常の使用による汚損を超えるものと判断される場合が多い」とされています。クロスは全面か一面かで書いた「一面分まで」の壁を、ヤニだけが越えていきます。

ただし、請求できるのは経過年数を引いた残りだけ

範囲が居室全体まで広がっても、金額はそのまま乗りません。ガイドラインはクロスについて、6年で残存価値1円となるような直線を想定して負担割合を計算するとしています。ヤニだけ別扱い、とはどこにも書かれていません。

つまり、こういう計算になります。

  • 入居3年で退去……クロスの価値は半分ほど残っている計算
  • 入居6年で退去……残存価値は1円まで下がっている計算
  • 入居7年で退去……張替え費用のほとんどは大家の側

「部屋全体を張り替える必要がある」ことと「その費用を全部もらえる」ことは、別の話です。

実際の裁判では、9割が引かれています

ガイドラインが事例31として載せている神戸地方裁判所尼崎支部の判決(平成21年1月21日)が分かりやすい例です。平成12年から平成19年まで、7年あまり住んだ部屋。大家は住宅復旧費28万3,368円(タバコのヤニの付着によるクロスの張替え、床の削れ補修)を敷金から差し引き、6万1,640円だけ返しました。

裁判所の判断はこうです。

  1. クロスの変色は喫煙によるヤニが主な原因であり、洗浄では除去できない特別損耗である
  2. その補修は全面張替えによるしかない
  3. ただし、その工事は本来大家が負担すべき通常損耗の回復も一緒に行うことになるから、補修金額から通常損耗による減価分(減価割合90%)を控除した残額のみを借主が負担する

結果、敷金残金25万3,298円の返還が認められました。全面張替えは認められたのに、請求できたのは1割ほど。床の削れは別で、タッチアップ補修という毀損部分だけの補修なので全額が借主負担とされています。範囲の広さと負担割合が別の軸で動いていることが、この判決を並べるとよく見えます。

神戸地裁尼崎支部の平成21年1月21日判決で認められたことと、大家の請求として通らなかったことを左右で比べた図。全面張替えは認められたが減価分90パーセントが控除された。

喫煙を禁止していない部屋では、何が請求の根拠になるのでしょうか?

同じ判決には、もう1つ押さえておきたい判断があります。

本件賃貸借契約上、本件住宅内での喫煙は禁止されていないから、賃借人夫婦が本件住宅内で喫煙したこと自体は善管注意義務違反とはならない。タバコのヤニの付着については管理について善管注意義務違反が認められる余地があるものの、これによって賃貸人に生じる損害は、上記の賃借人が負担すべき補修金額と同額である。

ガイドラインの別表も、同じ向きで書かれています。ヤニ・臭いの考え方の末尾に「なお、賃貸物件での喫煙等が禁じられている場合は、用法違反にあたるものと考えられる」とある。裏を返せば、禁じていない部屋での喫煙は用法違反ではありません。

では請求の根拠は何かというと、喫煙という行為ではなく、ヤニで変色させた・臭いを付着させたという結果のほうです。だから精算書に書くのは「室内で喫煙していたため」ではなく、「天井および壁4面のクロスが変色し、洗浄では除去できない状態」。敷金の精算書の書き方と同じで、状態を書けるかどうかで通り方が変わります。

契約で禁煙にするかどうかは、また別の判断です。禁じれば用法違反として構成できますが、募集の間口はそのぶん狭くなります。喫煙者を外すことが空室日数にどう響くかは、物件ごとに違います。

クリーニングの見積にも、ヤニは別枠で出てきます

ガイドラインは、専門業者による全体のハウスクリーニングを、賃借人が通常の清掃を実施している場合は大家負担としています。エアコンの内部洗浄も同じで、大家負担として挙げられているのは「喫煙等の臭いなどが付着していない場合」。この条件付きの書き方が、ヤニのときだけ扱いが変わることを示しています。

実際の料金表でも同じです。大家さんの内装屋のハウスクリーニング料金は1R/1K(25㎡まで)18,000円、1DK/2K(30㎡まで)22,000円、1LDK/2DK(40㎡まで)29,000円(いずれも税抜)で、その注記に「ヤニ汚れなど、通常より汚れが著しい場合は追加料金が発生する場合がございます」と書かれています。ヤニは標準料金の内側にいない、というのが現場の値付けです。

金額で見るとどうなるか

6帖の居室を全面張り替えたときの目安を置いておきます。同社が公開している6帖間の計算例では、天井と壁の合計から開口部を引いた実面積が33.33㎡、メーター換算で約37m。スタンダードクロスの張替えが1mあたり1,088円(税抜、めくり代・残材処分代・下地処理代を含む)なので、1,088円×約37m=40,256円(税別)です。作業量の目安は1日あたり56m(50㎡)程度なので、6帖なら半日〜1日で終わります。

これは継続して発注する事業者向けの業者価格で、個人で単発で頼む一般消費者価格は2〜3割ほど上がります。そのうえで、7年住んだ入居者に請求できるのは、この金額の1割前後という計算になります。

臭いだけが残っていてクロスは変色していない、という部屋もあります。においの出どころは喫煙とは限らないので、先に内見のときのにおいはどこから来るのかで挙げた排水と換気を潰してから、クロスの判断に移ってください。順番を逆にすると、張り替えたのに臭いが残ります。

今日やることを1つだけ選ぶなら

手元の賃貸借契約書を開いて、室内での喫煙について何か書いてあるかを確認してください。書いていなければ、次の募集から入れるかどうかを決める。すでにヤニで悩んでいる部屋があるなら、精算書に書くのは「喫煙していたため」ではなく、変色している面と、洗浄では落ちなかったという事実です。負担割合や特約の有効性は最後は個別の事情で判断されるので、金額が大きいときは宅地建物取引業者や弁護士、自治体の消費生活センターに相談してください。

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