通常損耗と善管注意義務違反はどこで分かれるか|築古アパートのオーナーが使う4つの区分
結論からお伝えすると、通常損耗と善管注意義務違反の線は、「傷んだかどうか」ではなく「傷んだあと、放っておいたかどうか」で引かれています。国のガイドラインが例示している借主負担の多くは、汚れたこと自体ではなく、汚れたまま手を入れなかったことを理由にしています。ここを取り違えると、請求できるものを落とし、請求できないものを載せることになります。
退去の立会いで、和室の壁に黒いシミが出ている。窓側の下から30cmほど、帯のように広がっている。「結露ですね」と業者が言う。結露は建物の側の問題だから大家負担——そう判断して精算書から外す。ところが同じ壁を、別の見方で読むこともできます。この分かれ目が、今日の話です。
条文は、通常損耗を最初から外している
民法621条は、原状回復義務をこう書いています。
賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
読みどころは括弧の中です。通常損耗と経年変化は、義務の例外として除かれているのではなく、「損傷」の定義から最初に外されています。そのうえで、ただし書がもう一段の線を引く。借主の責めに帰することができない事由なら、義務は生じません。
つまり、条文の順番はこうです。①経年変化・通常損耗か(→そもそも対象外) ②対象になるとして、借主の責めに帰する事由か(→なければ義務なし)。金額の話は、この2つを通過したあとです。

国のガイドラインは、損耗を2つではなく4つに分けている
国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」は、建物の損耗を大きくA・Bに分けたうえで、実際の表では4つに分けています。
- A……賃借人が通常の住まい方、使い方をしていても発生すると考えられるもの(大家負担)
- A(+G)……Aのうち、次の入居者を確保するための化粧直しやグレードアップの要素があるもの(大家負担)
- A(+B)……基本的にはAだが、その後の手入れ等、賃借人の管理が悪く発生または拡大したと考えられるもの(借主負担の検討へ)
- B……賃借人の使い方次第で発生したりしなかったりするもの。明らかに通常の使用による結果とはいえないもの(借主負担の検討へ)
実務で揉めるのは、A(+B)だけです
BとAは、現場ではあまり争いになりません。引越作業のひっかき傷や落書きはB、日照によるクロスの変色や電気ヤケはA。見ればだいたい分かります。
揉めるのは真ん中のA(+B)です。ガイドラインの例示を並べると、線の引き方がはっきり見えてきます。
- カーペットに飲み物をこぼしたことによるシミ・カビ……こぼすこと自体は通常の生活の範囲だが、その後の手入れ不足で生じたシミ・カビの除去は借主負担が妥当
- 冷蔵庫下のサビ跡……サビが床に付いても拭き掃除で除去できる程度なら通常の範囲。放置して床に損害を与えたなら善管注意義務違反に当たる場合が多い
- 結露を放置したことにより拡大したカビ・シミ……結露は建物の構造上の問題であることが多いが、発生しているのに賃貸人に通知もせず、拭き取るなどの手入れを怠って壁等を腐食させた場合は、通常の使用による損耗を超えると判断されることが多い
- 台所の油汚れ……使用後の手入れが悪くススや油が付着している場合は、通常の使用による損耗を超えると判断されることが多い
4つとも、発生した瞬間はAの側にいます。借主の側へ動かしているのは、そのあとの時間です。冒頭の和室の壁も同じで、結露が出たことではなく、出たまま何か月も置かれたかどうかで扱いが変わります。結露とカビの相談が入居者から来たときで「連絡が来たら記録を残す」と書いたのは、この線があるからです。
そもそも善管注意義務とは何か
ガイドラインのQ&A・Q10が答えを書いています。賃借人は賃借物を善良な管理者としての注意を払って使用する義務を負っており(民法400条)、建物なら「賃借人として社会通念上要求される程度の注意を払って賃借物を使用しなければならず、日頃の通常の清掃や退去時の清掃を行うことに気をつける必要がある」。
そして、Q10が挙げる違反の例は3つとも同じ形をしています。通常の掃除を怠って特別な清掃でしか落ちないカビを生じさせた場合。飲み物をこぼしたままにした場合。結露を放置した場合。いずれも「やってしまったこと」ではなく「そのあと何もしなかったこと」です。
Q10はもう1つ、大家にとって大きなことを書いています。修繕が必要になったとき賃借人には通知する義務があり、通知を怠って被害が生じた場合(水漏れを知らせず階下まで拡大したような場合)には損害賠償を求められる可能性がある。「言ってくれなかった」は、精算のときの論点になります。
「次の入居者のため」の工事は、どれだけ傷んでいても大家負担
A(+G)は、金額が大きくなりやすいのに見落とされる区分です。ガイドラインが大家負担として例示しているものを挙げます。
- 畳の裏返し・表替え(破損等はしていないが、次の入居者確保のために行うもの)
- フローリングのワックスがけ
- 網戸の張替え(破損はしていないが、次の入居者確保のために行うもの)
- 専門業者による全体のハウスクリーニング(賃借人が通常の清掃を実施している場合)
- 浴槽・風呂釜等の取替え(破損等はしていないが、次の入居者確保のために行うもの)
- 鍵の取替え(破損、鍵紛失のない場合)
- 設備機器の故障、使用不能(機器の寿命によるもの)
ガイドラインはA(+G)について、賃借人は通常損耗の修繕義務を負わないのだから「まして建物価値を増大させるような修繕等をする義務を負うことはない」としています。「新築のような状態にするためのクリーニング」は、その典型として名指しされています。募集のためにきれいにするのは正しい判断ですが、費用の出どころは大家です。空室清掃の範囲は空室の掃除はどこまでやるかで扱いました。

借主負担になっても、全額にはならない
区分がBやA(+B)に入ったとしても、そこから先にもう一段あります。ガイドラインは、この場合に「修繕等の費用の全額を賃借人が当然に負担することにはならない」として、経過年数の考え方を置いています。クロスなら6年で残存価値1円となるような直線を想定し、負担割合を計算する。
負担の単位も決まっています。壁のクロスは㎡単位が望ましいが、毀損させた箇所を含む一面分までは張替え費用を借主負担としてもやむを得ない。畳は原則1枚単位、柱は1本単位。範囲の決め方はクロスは全面か一面かで詳しく書きました。
逆に、経過年数を考えないものもあります。鍵の紛失によるシリンダー交換と、通常の清掃を怠った場合の清掃費用です。この2つは費用の相当分をそのまま借主負担とするとされています。
契約書に書いておけば済むのでしょうか?
済む場合と、済まない場合があります。ガイドラインは、通常損耗の修繕を借主に負わせる特約について、次の3つを満たしていなければ効力を争われると書いています。
- 特約の必要性があり、かつ、暴利的でないなどの客観的、合理的理由が存在すること
- 賃借人が特約によって通常の原状回復義務を超えた修繕等の義務を負うことについて認識していること
- 賃借人が特約による義務負担の意思表示をしていること
最高裁も平成17年12月16日の判決で、通常損耗の投下資本の回収は通常は賃料に含めて行われているとしたうえで、借主に通常損耗の原状回復義務を負わせるには「賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約の条項自体に具体的に明記されている」か、契約書で明らかでないなら口頭で説明して借主が明確に認識し合意の内容としたと認められることが必要、という考え方を示しています。
「原状回復は借主負担とする」の一行では、範囲が具体的に明記されているとはいえません。特約を置くなら、部位と内容を書き切ることになります。
表は答えではない、とガイドライン自身が書いている
最後に、見落とされやすい一文を引いておきます。ガイドラインは区分表について「あくまで一般的な事例を想定したものであり、個々の事象においては、Aに区分されるようなものであっても、損耗の程度等により実体上Bまたはそれに近いものとして判断され、賃借人に原状回復義務が発生すると思われるものもある」としています。
表の欄に指を当てて決着する話ではない、ということです。程度がひどければAでもBに寄りますし、逆もあります。だからこそ、敷金の精算書には金額ではなく「どこが・どうなっていたか」と「なぜその人の負担か」を書く欄が要ります。最後は個別の事情で判断されるものなので、金額が大きいときや特約が争点になるときは、宅地建物取引業者や弁護士、自治体の消費生活センターに相談してください。
今日やることを1つだけ選ぶなら
直近の精算書を1枚開いて、借主負担にした行を指で押さえ、「これはいつ発生して、そのあと何か月放置されたか」を口に出してみてください。答えられる行は残る行です。答えられない行は、通常損耗として自分で持ったほうが早い。この1問だけで、揉める行はかなり減ります。


