原状回復の範囲は、契約した日ではなく鍵を渡した日から数えます|築古アパートのオーナーが引渡しで動かす3つ

契約の日、仲介会社の応接室で署名が終わった。入居日は10日後。担当者が「鍵は当日お渡しします」と言い、封筒に入れた3本のシリンダーキーを机の引き出しに戻した。オーナーの手元に残ったのは、契約書の写しと、まだ誰も住んでいない部屋の写真が数枚。この10日間、部屋は誰のものとして扱われるのか。

結論からお伝えすると、原状回復で請求できる範囲は、契約した日ではなく鍵を渡した日から数えます。民法第621条が「賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷」と書いているためです。受け取る前からあった傷は、条文のうえで最初から入居者の負担ではありません。だから順番は、契約書に署名した日ではなく、鍵が動いた日で記録します。

鍵を渡した日から動く3つを並べた図。もとに戻す範囲の起点が民法621条で始まること、入居者の知らせる決まりが民法615条で動くこと、不具合が見つかり出すこと。

契約は、鍵を渡す前に成立しています

まず民法第601条です。

「賃貸借は、当事者の一方がある物の使用及び収益を相手方にさせることを約し、相手方がこれに対してその賃料を支払うこと及び引渡しを受けた物を契約が終了したときに返還することを約することによって、その効力を生ずる」

効力が生じる条件として書かれているのは「約する」ことだけで、引渡しは入っていません。鍵を渡していなくても契約は成立します。引渡しは、成立した契約にもとづいてオーナーが負う義務のほうです。賃貸借契約書がもともと書面でなくても成立するのと同じ理屈で、成立と履行は別の段にあります。

では、鍵を渡さないまま賃料だけ請求できるのか。ここに民法第533条があります。

「双務契約の当事者の一方は、相手方がその債務の履行を提供するまでは、自己の債務の履行を拒むことができる。ただし、相手方の債務が弁済期にないときは、この限りでない。」

見出しは「同時履行の抗弁」です。使わせる側が使わせていないなら、払う側は払いを拒めます。入居日を過ぎても前の入居者の残置物が片付いていない、工事が終わっていない——そういうときに、賃料の起算がどこから動くのかを決めているのがこの条文です。

鍵を渡した日から、何が動きますか?

3つ動きます。

  1. 原状回復の起点——第621条の「受け取った後」がここから始まります。通常の使用による損耗と経年変化は、そもそも対象から除かれています
  2. 入居者の通知義務——第615条は、賃借物が修繕を要するときは遅滞なくオーナーへ通知しなければならない、としています。鍵を持っている人にしか、部屋の異変は分かりません
  3. オーナーの修繕義務の現実の重さ——第606条第1項の修繕義務自体は契約の成立から負いますが、入居者が使い始めて初めて、不具合が見つかります

第621条のかっこ書きは「通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く」です。築古のアパートでは、前の入居者の使用で付いた傷と、新しい入居者が付けた傷の区別がつかなくなることが最大の争点になります。区別できる材料は、鍵を渡す日の状態しかありません。

写真はいつ撮るのが正しいのですか?

鍵を渡すその日に、入居者と一緒に撮ります。工事が終わった日でも、募集を始めた日でもありません。工事完了から入居まで2週間空けば、その間に結露やほこりで状態は変わります。

順番は次のようになります。

  1. 原状回復の工事が終わる——工事の前後で写真を残すのは、業者との精算のための記録です
  2. 入居日が決まる——契約書に書いた賃料の起算日はここ
  3. 鍵を渡す日に、入居者立会いで室内を確認して記録を残す——第621条のための記録はこちら
  4. 鍵の本数と番号を、渡した本数のまま控える

2の記録と3の記録は、目的がまったく違います。同じ写真で兼ねようとすると、退去のときに「その傷は入居前からありました」と言われて答えられなくなります。

鍵の本数を、渡す前に数えます

鍵は渡したら手元から消えます。何本渡したかを控えていないと、鍵が返ってこないまま退去されたときに、足りないのかどうかが分かりません。

  • 本数——玄関、メールボックス、駐輪場、共用部。系統ごとに数える
  • 鍵番号——シリンダーに刻印された番号。合鍵の発注に使う番号なので、控えを残すかどうかは方針として決めておく
  • 交換したかどうか——交換したなら、前の入居者の鍵はもう開きません。ここが曖昧だと防犯の説明ができません
  • オーナー側に残す鍵——持つなら保管場所と、入る場合の手順まで決めておく

交換の費用を誰が負担するかは特約の書き方の話で、渡す順番とは別の問題です。負担が決まっていないまま先に鍵を渡すと、あとから請求する形になり、たいてい通りません。

契約から入居までの順番を4段で示した図。契約の成立、賃料の起算日、鍵の引渡しと立会いの記録、入居して知らせる決まりが動くまで。

順番を1枚にすると、こうなります

  1. 契約の成立——署名または合意。第601条。ここで鍵はまだ動かない
  2. 賃料の起算日——契約書に書いた日。鍵を渡していなければ第533条が働く余地が出る
  3. 鍵の引渡し——第621条の起点。立会いで室内を記録し、本数を控える
  4. 入居——以後、第615条の通知義務が入居者側に生じる

3を1より先にやってはいけません。契約が成立していない相手に鍵を渡すと、部屋を占有している人がいるのに契約がない状態になります。申込のあとキャンセルされたときの処理が難しくなるのは、たいていこの順番が崩れたときです。

個別の契約の解釈、とくに賃料の起算日や特約の効力は、契約書の文言と当事者の合意で変わります。この記事は民法の条文がどこに線を引いているかを並べたもので、個別の契約の判定をするものではありません。争いになりそうなときは、弁護士または宅建業者にご確認ください。

今日やることを1つだけ選ぶなら、次に鍵を渡す部屋で、渡す日に入居者と立って撮った写真が1枚でもあるかを確かめてください。無ければ、次の1件から始めれば足ります。埼玉・千葉県西部・栃木県南部で築古の部屋を回していると、退去の精算で止まる案件のほとんどが、この1枚の有無で決まっています。

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